AYA世代

15歳から30歳前後の思春期や若年成人のことをAYA世代と呼ぶ(Adolescent and Young Adult, AYA)と、今日知りました。。

そしてAYA世代の人が癌にかかると予後不良という記事も読みました。(一概には言えませんが。)

AYA世代の方は、癌になった後に進学、就職、結婚、出産といった、人生において大きく関わる事柄や節目があるので、癌治療と共に考える事や悩む事が沢山沢山ある世代の事なんだと思いました。

もっともっと若年性癌に対しての研究や、治療、支援の輪が広がってほしいと切に願います。

私も、26歳で乳がんになり、娘が1歳だったしほんっとに色々と考えて悩む事が多くて、なんだか今生きている事でさえ、奇跡というか、なんかあっという間に今になったような気がします。

私の経験が少しでも誰かの励みになったりしたら良いなって最近毎日思っていて、でも特に資格なんかも無いので、病院のボランティアさんに応募してみようかな?とか、色々考えています。

26歳で乳がんになり、死に直面して色々と考えさせられて、でも生きていられる奇跡に日々感謝して、人のために何かしたいと考えるようになった2018年。
今年も健康に気を付けて、感謝を忘れずに1日1日を大切に生きさせていただきたいです。
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9年半

乳癌になり、9年半経ちました。

いよいよ、来年の6月は10年になります。

9年半の定期検診も全て異常なしでした。
このブログを始めてもうかれこれ10年を迎えようとしています。
しかも再発が無く、普通に元気に生かして頂いている事に感謝しています。

9年半経ち、今感じる事は、乳癌になり諦めた事もあり人生がまた違う物になったように感じます。
1番は、子供です。子供は2人欲しいと漠然と思って結婚しましたが、1人で諦めました。
非浸潤癌なら妊娠ができると言われましたが、やはり、多少でもリスクがあるのなら、今居る娘と夫のために1日でも長生きしたいと言う考えを選びました。
やはり、娘にはきょうだいをつくってあげたかったと正直何度も思いますが、やはり私に何かあったならきょうだいより母親の方が重要かな?と考えました。と、ゆーか、そう自分を納得させていました。

病気が何万通りあるのなら、それに向き合う患者の人生も何万通りもあるのだなと思います。

でも、その時その時選んだ道は決して後悔はしていません。
だってその決断を出したのは悩みぬいて真剣に考えた結果だからです。

乳房を全摘したのも、同時再建したのも、乳頭を再建しなかったのも、飲み薬のホルモン治療薬を途中でやめたのも、術後子供をつくらなかったのも、全て私が選んだ事。

そして、今、元気に生きている。
幸せって言える。

それで結果オーライです。

9年半も、無事にクリアでき家族や先生に感謝です。

一区切りまでもう一歩、あと少しです。
10年経ったらお祝いしたいな(^^)

喉元過ぎると

2017年は初心忘れるべからず。
です。
喉元過ぎると人間は忘れてしまう生き物。
病院へ検査に行くのも年二回になり、その時ばかりはドキドキハラハラなのに、乳がんから8年半も経つと、大丈夫だと普通に暮らしています。
でも!
初心に戻り、食生活や普段の生活も正しく整えたいと思いました。
初詣のおみくじ、今年は吉でした。
なかなか良い感じのスタート。
この幸せをずっと続けたいなら、毎日の積み重ねが大事だと思う。
日々感謝して。
初心忘れるべからず!です。

8年半検診。

2017年あけましておめでとうございます。

先月、乳がんになり、8年半が経ちました。
検査も無事クリアしました。
8年半も経てば、もう安心なのか?
とも考えますが、乳がんは長いスパンでみないといけないと言いますよね。
10年して再発という話も聞いた事があります。怖い∑(゚Д゚)
気を引き締めて、2017年もきちんと検診を受けて行きたいです。( ̄∀ ̄)
何事もおこらないように、健康で楽しい一年になりますように。

去年、胸の再建をしたシリコンも再建したぶりに形成外科でエコー、診察を受けました。
回転はしてしまってはいるもののT^T破れたり割れたり破損はない様なので、現状維持していく方向になりました。
本当は健側に揃え、素敵に再建したいと言う思いもありますが、またあの手術からのあの痛みは勘弁してほしいので、誰に見せるわけでもないので(°_°)現状維持に決めました。
一年に一度はエコーをやっていく話にはなりました。

2017年も、かすかな目標を持ち、1日1日を楽しかったと思えるように、高望みはせず、一歩一歩大切に歩んでいきたいです!!

あ、fe鉄が19しかなく、また鉄剤を服用になりました。最悪の鉄剤、、、胃痛と戦いながら頑張ります。( ̄◇ ̄;)

終末期鎮静


私の家族は膵臓癌でした。
見つかった時には黄疸も出ていて末期と告げられました。
初めは糖尿病だと誤診され、入院させられましたが、黄疸が全身に出てやっと膵臓癌と診断されました。
こんなに黄疸出てたら、素人でも膵臓癌って分かるわ!ってレベルでした。
何カ月も入院してたのに、ただ糖尿病の食事療法だけされていました。

膵臓癌の診断が(やっと)分かり、高齢の為、抗ガン剤はやる意味があまり無いと医師に言われ、医師の言う通りに胆管にステントを入れる処置をしたりしました。
私は乳癌には詳しいけど、膵臓癌は全く無知で、医師に言われるがまま家族と一緒に治療法を選びました。
私は毎日病院へ行き、少しでも一緒に居たくて夕方娘が帰宅するまで居ました。
日々衰弱していく本人を見るのが辛く、病院へ行く足取りが重くなりました。
しかし、大事な家族、大好きな人大切な人。
私が弱気になってどうする?と奮い立たせ毎日病院に向かいました。

医師から、本人が本当にどうしようもなく痛がり、辛くなったなら鎮静剤を使いますか?と聞かれました。
私はそれ以上の治療法がなく、本人が辛くて我慢が限界ならば、、、。。と思い、はい。と言いました。鎮静剤って少し眠くなる薬だよね?と思ってました。

余命宣告も1週間ほど過ぎ、本人は瘦せ細り、吐き気を常に訴え、食欲は全くなくなり、氷しか口にできなくなりました。
腰を痛がるので背中を撫でるため、背中を見ると骨が痛々しく浮き彫りになり、私は泣くのを堪えて背中を撫でました。

亡くなる前日の事。
私がいつもの様に付き添いました。
その日はいつになく本人はなぜか元気に見え、医師の言う、余命宣告なんか当てにならないわ!まだまだ大丈夫!と前向きな考えになる程でした。
好きな音楽を聴いて、私と一緒に歌いました。
次の日は打って変わって体調が絶不調に見えました。
顔色も明らかに悪く、全く弱音をはかない本人が私に吐き気を強く強く訴えてきました。
私は慌ててバケツを用意すると、大量に吐血しました。バケツから溢れるほどでした。
私は初めてみる吐血と、大事な家族の苦しむ姿にパニックになり、ナースコールを何度も押しました。
なかなか来ない看護師に怒りさえ覚えましたが、私がパニックになっていたから長く感じただけだったのかと、後々思いました。
医師が3人来ました。看護師も5人来ました。
しかし、医師が3人とも研修医でした。。。
え?いつもの医師は⁇て尋ねると、手術中だとか。
それにしても研修医3人か、、、しかも、本人には膵臓癌って告げてないのに、研修医が膵臓癌だから〜、、、と言いました。本人は吐血が続いていてハッキリとは聞こえなかったのかもしれないけど、家族としては告知はしないで欲しいとお願いしていた中での発言に私は怒り心頭と、本人の吐血の量と、家族が私1人しかいない状況の中、パニックになり、私は失神しました。。。

気づいたらソファーの上に寝かされていて、起き上がると慌てて家族みんなに電話をかけ全員集合させました。
それからです。
医師に私が呼ばれ、鎮静剤を使いますか?と言われました。
私は家族に確認をとり、あと、1番は本人に鎮静剤とは言わずに、もう辛いかな?と聞きました。
本人は「もう嫌だ。」と言いました。

私は医師に「はい。」と言いました。



鎮静剤が
投与され、眠くなりますよーと看護師が言うと、本人はウトウトしだしました。
看護師がまだ意識あるから、話しかけてくださいね。と言うので、
私は沢山話しかけました。
なんとなくもう終わりが近いのかと思い、
沢山沢山ありがとうと言いました。

本人の目から一筋涙がこぼれました。
そして片手を高く上げ、私の手にタッチしました。

そして少しして息を引き取りました。



これが終末期鎮静だと言うことを一年後に知りました。
たまたま見ていたTVで知りました。

終末期鎮静と言う言葉の説明はなかったからです。
末期癌患者に鎮静剤を使うと命の終わりなんだと言う事を知りませんでした。
ただ眠らせて、また起きるのかと思っていました。
終末期鎮静って安楽死とは違うの?
意味が全くわからず、三年が経ちました。
三年間、私がはい。と言ったせいで、本人の寿命を短くしてしまったのではないか?
本人はもっと一日でも長く生きていたかったのではないか?
本人は鎮静剤なんか使ってほしくなかったんじゃないか?
家族に対する医師の説明が下手くそだったんじゃないか?
私が自らもっと膵臓癌について勉強すれば良かったんじゃないか?
私のせいなんじゃないか?
、、、。

と。
ずっと思ってきました。

あのまま鎮静剤を使わなかったらどんな終わり方をしたのか、いつまで生きていたのか、誰にもわかりませんが、ああすれば良かったのか、こうすれば良かったのか、いまだに考えると涙が溢れます。

今やっと三年が経ち、こうやって気持ちを書きだせるようになりました。

やはり、無知は損であり、無知は後悔でもあるんだと感じました。
医師ではないし、知識もない一般の私は、こうなった現実に悔しい気持ちもあります。

癌は憎いですが、癌を知る事もとても重要だし、治療法に関しても自ら勉強しなくてはいけないのかなと思いました。
医師は分かりやすく伝えたつもりでも、家族がショックをうけない為になのか、オブラートに包んだ言い方をします。それが余計に分かりづらくなり、ストレートに言ってほしいと切実に思いました。
インフォームドコンセント【知らされた上での同意】がどれだけ知らされたのか?にもよるし、やっぱりきちんと患者側が理解しているのか、チェックシートでも作ってもらいたいくらいです。

膵臓癌末期の家族を終末期鎮静で看取った私の記録でした。
        
*プロフィール

kokko

Author:kokko
2008年5月。26歳、授乳中(娘一歳の時)に若年性乳がんになりました。         
旦那と娘と暮らしています。        
告知~手術~治療~乳房再建など日常の出来事も含め書いていきたいです。
☆経過☆
2008年5月23日授乳中に血が混ざった母乳が出て病院を受診。検査後、乳癌告知をうける。非浸潤性乳管癌ステージ0期(DCIS)。

2008年6月12日右乳房全摘手術,センチネルリンパ節生検,エキスパンダーによる同時再建。

2008年7月29日ホルモン治療開始~ゾラデックス(途中からリュープリンに変更),ノルバデックス共に2年予定。

2008年12月5日シリコン入れ替え手術終了。

2009年4月3日ノルバデックス中止。リュ-プリン単独で続行。

2010年6月リュープリン二年間終了。→無治療・三ヶ月おきの定期健診。

(現在、ホルモン治療の副作用で骨粗鬆症になり、ベネット錠服用中。2010年3月から。)

2013年7月骨粗鬆症薬ベネット中止(服用期間3年4カ月)。ビタミンD.カルシウム剤で様子見中。
2015年9月カルシウム剤中止。ビタミンD(エディーロール)のみで様子見中。

        
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